最初のころは、この子将来どうなるんだろうと......
この子は将来どうなるんだろうという不安があって。かなり低学年の段階で、学校が嫌だってなったので、勉強する場所とかがなくて。友達関係を作る場所とかも。道行く中高生がいますよね、自転車に乗った。うちの子は、あんな風になれないんじゃないか。そういうところで漠然とした不安があって。将来がどうなるんだろうなっていう感じでした。
中高生の学校生活とか、近い将来についての心配がありました。初めの方でつまずいてしまったことで、この子は将来学校にいけるんだろうかと思っていました。
自分がいいと思ってやってきたことが、学校の先生に迷惑をかけているのではと......
支援者の1人から、私がやっていることは学校に迷惑をかけてることだっていう感じのことを言われて…私も不安になってきちゃったんですよ。…もういいや、先生にそんな迷惑をかけるとか言われるぐらいならやらないというか。ただ、子どもがやりたいことはやってもらおうと思ったんで。修学旅行と卒業式は、病院主導でプログラムしてもらって行ったんですけど。
膨大なエネルギーを 費やすっていうのが果たして何だったんだろうって思いました。もうちょっと別のやり方があったかなっていう気がするんですよね。色んな人の力を借りてきたんですけど。
それといった指針はないから、色んな人の言葉に振り回されて。それぞれの思う不登校支援があるんでしょうね。
結局は、ほんとに今思うんですよね。その人の人間観、人生観でやってるから振り回されちゃったんですよ。でも、それを振り返ると自分の人生観はあの時はなかったんですよ。
だから子どもの気持ちは、意外と置いてけぼりだったんだと思います。しかも、子ども自身もまだ幼いから行けるようになりたいって言ってたんですよね。
支援の形だけはできてるから、なんかできるような感じに思えちゃうんですよね。
もし、子どもが僕は嫌だって泣いてひきこもってたら、また違ってたと思うんですけど子どもの気持ちは意外と置いてけぼりだったんだと思います......教育支援センターに行ってるから、放課後登校しているから。ちょっとつながりがあるから大丈夫とか思ってました。でも、多分そういうことじゃないんですよね。
逆にその形ができてしまってたから、良いと思えてしまっていて......ちょっと落とし穴なんですよね。
表向きは言わなくても、この人は、学校行かないってことをよくないって思ってるんだ......
表向きは言わないと思うんですよ。だから、その先生やその人の人間観が見えてしまったんだって思います。その人たちは、心の底から子どもたちのことを応援してるんですけど、やっぱり学校に行って自立してほしいっていう。まあ、何かしらその人自身の気持ちがあるでしょう。