無理やり学校に連れて行かれた時、一番初期が辛かった
最初の頃は自分でも何が起こってるか、全部とにかく行きたくなくて、でも何が起こってるかわかんなくて、その時はとにかく担任の先生に会いたくなくて。
学校に行かないといけないとは思ってて、、、行きたくないんですけどね。周りがちゃんと行かないといけないよと言ってくれてるのは、自分の中には響いてて。
授業を受けないから通知表がつかないじゃないですか...それを渡されるってことが嫌でした。
苦手だった担任から貰う通知表っていうだけでも嫌なのに、(評価のところが)すべて斜線なんです。今思えば、斜線で渡されるぐらいだったら渡さないほうがいい気がします。
さらにぐさぐさ刺さったのが、中学校の先生から「あなたは授業に出れば普通に5とか4をあげれるのに」って言われたことでした。
保健室とか相談室に行ってましたが......すごく覚悟します。
毎朝、覚悟して行ってました。誰にも会わずに、平和に過ごせますようにって思いながらやってましたね。でもやっぱり教室に入れない自分がいて、教室に入れない自分をカバーするために、毎日頑張って相談室に登校するしかできなくて。もう私はここまでしかできないし、教室に入ることもできないからと思って、生きてたって感じはします。教室に入れない自分がずっと嫌でしたし。
周囲からは、教室に入れないことを諦められてるのかなという感じ。諦めてくれたのかなと思います。
進学した高校の途中で、行けなくなったとしたら、たぶん無理......
もし高校の途中で行けなくなっていたら、たぶん無理ですよ。もう立ち直れてないかもしれないですね。そう思いながら当時は行ってました。ここで、また行きたくなくなったら?どうしよう。たぶんダメだろうなって思いながら。
(不登校の経験は)自分の心の中にはあるけど、でも人と接する時にはなかったことにしたい
中学の同級生がいない高校だったので、自分が不登校だったことはバレたくない、隠したいって思ってたんですよ。1度だけ、高校の時の親しくないクラスメイトに不登校だったことが気づかれそうになって、内心すごく焦ったんですよ。相手の子がそれを知ったところで、何かしてくるわけじゃないと思います。それでも、自分が不登校だったことは知られたくなかった。
大学に入ってからも、話せる友達はごくわずかです。ゼミの先生には話を聞いてもらってますが、周囲には話せないです。なかったことのようにしようとしてます。
最終的に学校行けたみたいに、成功例だと勝手に思われることが嫌ですね。そう理解されるのが。
当時は、成功体験にしたいと思ってたんですよ。中学の時までは、高校に頑張って通って、あわよくば大学に入って、普通に生きていくことを成功体験にしたいと思ってた部分があって。でも高校、大学に進んでいくにつれて、別にそこまでは思わなくなって。逆に、これを良いことだと思ってほしくないっていうか。最近は、不登校から脱却した成功体験として解釈して欲しくないっていう考え方に変わってきたので。
昔は、自分自身に対してと、周りに対して「ほら行かなくてもどうにかなったでしょ」って見せたかったのかな。
不登校の時の自分があったなって過ぎていく......
不登校の経験をこうやって振り返る。振り返る日がくるとは思ってなかったです。ただ、通過点じゃないですけど、不登校の自分があったなって過ぎていくのかなと。今こうやってお話ができて。あの時は冷静じゃなかったんで、改めて考えたりできるのが、すごく良いなって思いました。